君がここで笑うシーンが

いや、答えなんかはいいんだ ただちょっと

祖父の記憶と「少年たちの終わらない夜」

祖父の本棚でしか読めない本があった。名前の読めない作家の本で、「少年たちの終わらない夜」という名前の本。

 

わたしの祖父は読書家で、祖父の家には背の高い本棚がいくつもあって。読んでも読んでも終わらない、図書館みたいな家だった。

ただ祖父は自分の本を他人に読まれるのが非常に嫌な人で、小学校高学年の時にこっそり読んで引くほど怒られたことをよく覚えている。時が経ち、わたしが高校生になると少しずつ祖父が本棚の本をを読むことを許してくれるようになった。

その頃のわたしの密かな夢のひとつは祖父の本棚にある本をすべて読破することで、祖父が許してくれたものからこっそりちまちまと読み進めていた。その中のひとつが、「少年たちの終わらない夜」だったのである。祖父が許してくれたという喜びに満たされながら、長期休みのたびに何度も読んだ。

 

ー今度はさ。

ーなに?

ー今度は、アイダが僕の言うこときかなくちゃいけないんだぜ。

ートンボ返りは無理だわ。

ーそうじゃないよ。

ーじゃあ何?

ー道路の真ん中で、キスしよう。

 

ここが特に大好きで、未だに目を閉じて唱えることができる。何度も何度も読んだ。大人になったらこういう恋をするのかなあって、憧れと切なさを含みながら。

 

許されるなら自分の手元に欲しい本だった。ところが当時の私は山奥の学校に通うだけで毎日限界で、書店に行くなんてできるわけがなく。とか言っていたら声が出なくなって不登校になり祖父の家にも行けず、と少しずつ夢の本棚は遠くなっていった。

 

もう一度夢に触れられたのは大学一年生の夏休みで、わたしは1ヶ月間まるまる祖父の家にこもってひたすら本を読んだ。その頃の祖父は元気だけど弱っていて、わたしが何を読んでもにこにこ笑うだけだった。それが少しだけ怖かったのをよく覚えている。

 

祖父と最後に会ったのは、大学2年の正月だった。親戚みんなでにぎやかにご飯を食べて、とっても楽しかった。あの時は本は読めなかったけど、祖父と一緒に映画を見た。どうしてあの時祖父はあんなにわたしと映画をみたがったのかなって、ふと考える時がある。

 

それから1ヶ月後。祖父は、たくさんの本と優しい記憶を残して亡くなってしまった。正直誰も予想してなかった。雪の降る夜、外で用を足そうとして、倒れて、そのまま次の日に亡くなってしまったのである。祖父が亡くなってから数日はとにかくみんなバタバタ動き回っていたのでろくに何も覚えていない。覚えているのは、祖父の四十九日の時に玄関の階段ですっ転んで、93のひいばあちゃんに大笑いされたことくらいである。「もうばあちゃんに転ぶなって言えんねえ」って、それはそれは楽しそうに笑っていた。わたしは、鮮やかに靭帯を切った。

 

そんな調子だったものだから、誰も祖父の本棚のことを気にかける余裕なんてなかった。ようやく祖父の本棚の話が出てきたのは半年後の夏のことである。親戚一同満場一致で私に祖父の遺産とも言える本は全て委ねられることになった。大量の本をどうするかは全部読んでから決めてくれていいよ、と大変ありがたいことを祖母が言ってくれたので、わたしは片っ端から祖父の本棚の本を読んだ。ところが、何冊読んでも「少年たちの終わらない夜」に出会えない。待てど待てど、アイダとキスができない。

 

やけになったわたしは、ひとまず読破計画を中断し「少年たちの終わらない夜」を探した。ところが探せど探せど出てこない。蔵を捜索してもない。出てきたのは曽祖母がいつか慰謝料をぶんどるためにと書いていた曽祖父の浮気の記録を記した日記帳だけだった。

 

祖母とその娘である我が母の話を統合すれば、どうやら祖父が亡くなる直前本を一部どこかへ譲渡したり寄付したりしていたらしく、「少年たちの終わらない夜」はそこに選ばれていたらしかった。譲渡先や寄付先はいくつかあって、祖母と母は把握していなかった。

 

これを知った時、わたしは暴れた。柄にもなく暴れた。こたつの綿をむしりとりすぐに戻すという暴挙を働きまた曽祖母に爆笑された。「そんな大事な本なんかね」とけらけら笑っていた。そりゃ大事に決まってる!だってわたしが一番好きだった本なんだから!

 

探しても探しても「少年たちの終わらない夜」は見つからず、手に入らず、それから随分時が経った。いつか復刊しないかなあって、自分の手で本屋さんで買いたいなあって、夢を見ていた。

 

 

そして2021年。わたしはTwitterを見て奇声を上げた。滅多に怒らない同居人に怒られるくらいの奇声だった。

 

鷺沢萌 「少年たちの終わらない夜」復刊。』

 

2021年一番めでたいニュースが飛び込んできたんだもの!!奇声を上げないなんて無理!!!!!

 

わくわくしながらTwitterのおすすめの「少年たちの終わらない夜」を押して、わたしは息をのんだ。並んでいた単語に冷や汗をかいた。

 

斉藤壮馬 復刊」

 

あれほど理解が秒速だった瞬間、あっただろうか。

かーっ!!って声が出た。かーっ!!斉藤壮馬!あの!2019年の河出さんのフェアで「西瓜糖の日々」と「銀河ヒッチハイク・ガイド」を選んだあの!斉藤壮馬が!復刊のきっかけを!!!!!

わたしは斉藤壮馬さんが「西瓜糖の日々」と「銀河ヒッチハイク・ガイド」を選んだと知った時から一生ついていかせていただきますと思っていたのだが、またやってくれたのだ。本当に頭が上がらない。ありがとう斉藤壮馬!貴方は救世主だ!

 

 

 

 

またアイダにあえる!!!!!

 

 

 

とにかく早くあいたくて、ずっとずっと書店に行ける日を待ち望んでいた。やっと書店で、自分の手で、「少年たちの終わらない夜」を手に取れるんだ。嬉しくて嬉しくてたまらない。

 

 

ギックリ腰との戦いを経て、今日、わたしはアイダに再会した。はじめて自分の手で、「少年たちの終わらない夜」に触れた。本当に嬉しい。

 

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ありがとう斉藤壮馬さん。ありがとう河出書房新社。ありがとう河出文庫。久しぶりだね、「少年たちの終わらない夜」!

 

アイダ、あなたにずっとあいたかった。

会いたかったんだよ。

 

さあ。愛しい君の頭の中を探検にいこう。

ゆっくりゆっくり、読んでいきたいと思います。