君がここで笑うシーンが

いや、答えなんかはいいんだ ただちょっと

職場で性被害にあった

*お知らせ

この記事において、ご不快な思いをなさる方、また、思い出して苦しい思いをさせてしまう方がいらっしゃるかもしれません。そのような方がこの記事を読んだことによる負担を軽減するため、タイトルで避けていただけるようあえて直接的なタイトルにしています。どうかご理解ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。

このブログでは基本的に、自分自身に嘘をつかないように書くことを心掛けています。なので、いつかきっとあの夜を書かなければ、わたしは身がもたなくなるだろうなと、覚悟をしていました。

また、ずっとTwitterで、嘘をついているようでした。隠し事をしているようで、ずっとずっと苦しかった。でも、ずっとずっと黙ってきました。家族にも言えていません。結婚詐欺にあったことはもう一周まわってゲラゲラ笑える話になっているというのに。

きっとこれからお会いするフォロワーさんもいるでしょう。どうかどうか、わたしのことを嫌わないでください。どうかどうか、どうか。変わらずに、接してください。

貴方に生きていることを許してほしくて、書きます。

 

 

 

わたしの仕事は、介護職です。被害にあったのは、夜勤の夜でした。あえてこの書き方をすると、加害者は認知症の利用者です。回数にすると2回。被害にあう前兆は、昨年の12月くらいから、起こっていたと思います。わたしのために書きますが、1度目はまだ未遂。だけど、被害を受けたとは言えます。2度目はもう、言葉にしたくありません。

わたしの力不足だと言われたら、そうなのかもしれません。でも、利用者だから仕方ないんでしょうか?2度もレイプをされたことを、力不足で、済ませてしまわれるんでしょうか、?1度目の後対策をしていたのに。誰にも言えないなりにした防御を、壊してきたのは向こうです。

仕方ないのかもしれない。だけど、わたしは、わたしだけは、あの夜をちゃんと否定したいです。あんなもの許されていいわけがない。2度も、わたしを、あの利用者はわたしを2度も汚したのです。わたしを、同居人から奪っていったのです。それが一番苦しかった。わたしが、わたしでなくなったようでした。

今思えば、前兆の時点で、職場の対応は良いとは言えませんでした。何もしてくれなかった。「記録に残して」で、おしまいでした。

もっと悔しかったのは、2度目の被害にあった夜、一生懸命、本当に、身を削るように申し送り事項にされたことに近いことを書いたのに、「直接相談してほしかった」「もっと早く相談して」「声をあげて」と言われたことです。前兆の時点で何度も相談していたのに。言われた通り記録に残したのに。『自分が性被害にあいました』と、被害にあった直後に直接報告しなければいけないのでしょうか。わたしの力不足だと、そう言われているようで、悔しくてたまりませんでした。もしかしたら、被害にあったことより、あの夜の方が悔しかったかもしれません。

わたしのせいでその利用者はフロアを異動させられた、と、それですべてが終わってしまいました。全部全部わたしの責任で、わたしの力不足。直属の上司は、そう判断しています。

このような対応が続き、わたしはいよいよ職場には黙り通すことにしました。言ってもわたしが傷つくだけだと思ったからです。力不足なんでしょうか。わたしがいけないのでしょうか。

そんなふうにして悩むことすら、嫌でした。

 

わたしが職場への失望と同じくらい辛かったのは、テレビで『性被害』の単語が毎日のように報道されていたことです。ああ、された側の気持ちなんて、『被害者』にさせられた側の気持ちなんて、どうでもいいんだなと思いました。せめて一言注意書きさえあればいいのに。セカンドレイプってこれか、とどこか客観的に眺めることしかできなかった。自分自身に失望していたからだと思います。被害者になってしまった自分に、呆れていたんだと思います。自分がもっともっと嫌いになってしまった。

 

そんな状況だったので、なかなか誰にも相談できないままかなりの時間が過ぎました。「性犯罪にあった」事実が飲み込めず、以前から存在を知っていた『#8103』にも電話できませんでした。

 

潮目が変わったのは、自分自身が勤務中にあの夜を思い出してしまって、パニックになった日です。いまだによく覚えていませんが、はじめて職場の、現場にいない人に打ち明けました。現場にいない人になら、言っても自分自身を恨まないとも思いました。

その夜、勇気を出して、なけなしの勇気を片手に、県の相談窓口に電話をしました。「貴方は悪くないよ」の言葉に、声をあげて泣きました。

 

今わたしは、通院をしながら仕事を続けています。夜勤も、結局続けています。異動もすすめていただいたけれど、ここで諦めてしまうことが嫌でした。すべてを諦めて、一生加害者を恨んで生きるなんて、その方が悔しい気がしたからです。

加害者はまだ同じ施設にいますが、職場の上層部が動いてくれています。現場の配慮はほぼ皆無ですし、いまだに「セクハラされたって本当?」などと興味本位で聞かれますが、この状態ですべてを打ち明けたところでどうしようもないなと、呆れを呆れで上塗りすることが続いているような状況です。加害者への恨みより職場への恨みが増したら辞めようと思います。

 

ここまで書いてきたことより、何より苦しいのは、わたしの大好きなアイドルに、うまく向き合えなくなったことでした。正直、正直、熊本にいけなくなった時、心のどこかで、安心していたわたしがいました。わたしの中でSexy Zoneは、大切で、宝物で、きれいで優しいアイドルです。汚れた自分をSexy Zoneにさらさなくて済むと、安堵してしまっていました。わたしは、Sexy Zoneが好きですと、胸を張って言えなくなってしまったのです。

最近、担降りしましたか?とよく聞かれます。答えはいいえです。言葉にする方法を探しています。彼らを大切にできる言葉を、探しています。汚い自分と折り合いをつける術を、探しているのです。

 

わたしが好きだと言っていいのかと、そんな疑問がずっと、消えないのです。それが一番、辛かったし、進行形でずっと辛いです。自分で自分に色眼鏡をかけてしまうことが、一番苦しい。

 

そんな中で文を書くことにした理由は、尊敬する作家に甘えようと思ったからでした。「わかるよ。でも僕に何かを伝えようとした時点であなたはきっと変わっている」という彼の言葉に、甘えようと思ったからです。世界中がわからないと言っても、たった1人、この文を読んでくれた貴方に、「わかるよ。」と返してもらえるようにと、縋っています。

 

もしも、もしも偶然この文を読んでしまった人がいたら、これだけはお願いしたいです。どうか、目の前の人を、「そんなことないよ」で片付けないでください。「わかるよ」って、一言でいい。本音は嘘でもいい。建前でもいいから、わかってあげてください。

 

それから、このブログを誰よりも楽しみにしてくれていた同居人へ。ごめんね。ごめんなさい。

 

 

最後に、この文を読んでくれた、わたしの大切なフォロワーさんへ。読ませてしまってごめんなさい。どうかこれからも、お友達でいてくれたら嬉しいです。それが一番の願いです。どうか、どうか、汚れたやつだと嫌わないでください。

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。よき日々を、お過ごしください。